錆銀彩須恵型注器
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環さんはこの須恵型注器に並々ならぬ想いを持っているようです。
そもそも須恵器のこの形が作られたのは約1500年ほど前。
縄文、弥生を経て古墳時代に入ると、朝鮮半島からの技法の輸入で穴窯で焼くようになり、ここから高温で硬く焼き締まった、轆轤による須恵器の成形が始まり、主に祭祀の際に酒器として使用されました。
現代のように高回転するはずもない1500年前の轆轤。それでも薄く軽く作る陶工の先達の技術に、環さんは神秘的な感動を覚えたそう。
この須恵器の完成度は、そんな先達が何世代にも渡って積み重ねた仕事そのものであり、そこには抗えない美があります。
環さん曰く、「僕は先達の想いの欠片を壊さぬよう、今様に仕立て直すのですが、いじるところが無いどころか、今でも新しい発見があることに敬意を払わないわけにはいきません」。
発掘された古代の須恵器には、胴の部分に穴が空いており、竹筒を挿して酒を注いだとされます。代わりに環さんは鶴頸様の優雅なカーブを描く注ぎ口を選びました。
須恵型注器は腰が細くて、掴んで注ぐ姿も粋に見えそう。
錆銀彩の質感は日本酒をまろやかにしてくれそうだし、どぶろくなどプリミティブなお酒にもよく合いそうですね。須恵器のストーリーに想いを募らせながらゆっくりと呑む。そんなシチュエーションによく合う、玄人好みの酒器です。
問題は、これを書いている私も環さんも、お酒が一滴も飲めないということでしょうか。
口径 : 約9.5cm / 高さ : 約17.5cm
伊藤環 Ito Kan
1971年生まれ。大阪芸術大学卒業後、京都にて山田光氏(走泥社創始)に師事。信楽 “陶芸の森” にて各国若手作家と競作の後、郷里秋月へ戻り、父 橘日東士氏と共に作陶。2006年神奈川県三浦市三崎に開窯。2012年岡山県岡山市に移住。
錆銀彩
銀で上絵をし酸化させて仕上げているため、使用していくにつれ黒っぽい質感に変化していきます。また、研磨により自然に銀が浮かび上がり風合いが増します。使用当初は表面に酸化銀の煤が付くことがありますが食に差し支えはありません。
錆銀彩は酸に反応するため、酢やビネガーなど酸性の料理やアルミホイルなどの金属に触れると変色します。
使用後はスポンジでやさしく洗い、そのまま自然乾燥させるか、布巾で軽く叩くように拭いてください。
*ご使用後は早めに汚れを落とし、しっかりと乾かして下さい。
*電子レンジ、オーブン、食洗機使用不可
*返品・返金は一切お受けできません。ご購入の際は、ご理解頂きますようお願い致します。
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令和2年7月23日
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